2023年2月4日土曜日

なぜ江戸川区職員だけが独自採用なのか?

特別区人事 共同採用と独自採用

特別区の自治権拡充の話を含む

特別区職員の採用は
一部を除き
特別区人事・厚生事務組合 による
共同採用 となっています。
※ 一部とは 各区で選考する
 保育士等の一部の職種

1次と2次の試験は
特別区人事委員会が一括して行います。

2次試験に合格すると
試験区分別(事務,福祉,保健師等)に
採用候補者名簿に
“ 高得点順 ” に登載され
人事委員会が
受験申込時に提出した
“ 希望する区や組合を考慮 ”
“ 高得点順 ” に提示(推薦)します。

提示(推薦)を受けた各区や組合は
採用候補者に連絡し
それから面接等を行い
その結果に基づいて
各区・組合が採用内定を行います。

仮に区面接で不採用になった場合には
他の区や組合の “ 欠員状況次第 ”
それらの区や組合から連絡があるので
改めてそこで面接等が行われます。

なお
採用候補者名簿の有効期限は
原則1年間です。


※『特別区「東京23区」職員募集案内 2023-受験申込から採用までの流れ』より


ただし
江戸川区だけは
第1希望として江戸川区を希望し
( 江戸川区のみ希望 )
人事委員会の行う2次試験に
最終合格すれば
江戸川区に内定 → 採用される
独自採用方式で行っています。

人事委員会の面接(2次試験)の際に
江戸川区の職員が直接面接に当たると
考えられます。

どうしてこのような制度になったのか
その歴史的背景について
簡単に述べましょう。

昭和49(1974)年に
特別区職員の人事権が
東京都から特別区へと移行され
昭和48年度(昭和49年度採用分)以降
特別区での採用試験選考

実施されています。

それまでは
都配属職員制度 により
課長,係長をはじめとする
区の職員の大部分は
都職員の身分を保有したまま
各区に配属されていました。

この経緯については
まず
東京都制(昭和18年 法律第89号)の
施行により
昭和18(1943)年7月1日
東京市と東京府が廃止されて
東京都が設置 されました。

この東京市の職員解体に伴い
各区には東京都の公務員が配置され
そして
昭和27(1953)年9月1日の
地方自治法施行令の一部改正
(昭和27年 政令第345号)により
「配置職員制度」が明記 された
ことに因みます。

その後の権限移譲により
現在に至るまで
特別区職員の採用
保育士等の一部の職種を除き
特別区人事・厚生事務組合の
共同採用
となっています。

一方で例外的に
江戸川区 だけが 独自採用方式
行っていることについては
昭和48年7月に実施された
23区共同の職員採用試験において
江戸川区だけが
独立採用を断行したことから
始まります。

この理由は
当時の
中里喜一 江戸川区長 への
インタビュー記事によると

都から区へ人事権が移譲された際に
東京都から
共同採用を…との話があったそうです。

これまでに
区長公選,事務事業の移管,
人事権の確立で22年間運動してきて
ようやく人事権だけが
見通しが立ってきた。

その大事な職員採用について

人事の権限が移譲されたのに
特別区の共同採用では
東京都の一括採用後の配属と
何ら変わりなく。
看板を塗り替えただけである。

共同採用による
23区のどこへ勤めるのか判らない
募集の仕方では意味がない。

「この区へ勤めるんだ!」という
意欲のある職員が一番大切である。


たしかに
共同採用を行う理由 として
共同で募集・採用することでの
経済的負担の軽減等による
経済上のメリット
職員の質的均等性の確保
充員見通しに対する不安感
挙げらるが

それよりも
江戸川区勤務の志望者を
積極的に採用することで
地方自治の本旨を
活かしていくことの方が大事である。


という考えであり
このことは
区長会でも中里区長だけが
主張されてきたそうです。

この江戸川区長の
江戸川区独自採用の主張に対して
当時の区長会はどのように
思っていたのか。

こちらも
当時の 区長会会長 であった
君塚幸吉 目黒区長 への
インタビュー記事によれば

江戸川区の考えは間違っていない。

これは特別区全体の人事の問題なので
説得は試みたが
その時は既に江戸川区の方針は
決まっていたとのこと。

ただ
23区の一体性は確保して行いたいので
試験日や試験問題までも
変えてしまうと
人事交流ができなくなる。

しかし
江戸川区は
そこまで考えていないようで
交流の点でも問題はない。

というような
趣旨のことを述べています。

なお
昭和49(1974)年6月1日の
地方自治法の一部を改正する法律
(昭和49年 法律第71号)における
都区制度改革(第3次)の主な改正点
● 区長公選制の復活
● 都配属職員制度の廃止
● 事務配分原則の転換
(都の特例規定がない限り
 一般市の規定を区に適用)
● 保健所設置市の事務など
 大幅な事務委譲

といったものです

こうした
当時の 都区制度改革 の背景や
中里江戸川区長 の熱い主張。
そして
まだ自治体として熟していない23区と
権限の強かった都の意向の間で
特別区長会を取りまとめた
君塚区長会会長 の考えと
落としどころ。

仮に
志望人気区である中心区の
千代田,中央,港,新宿,文京区
あたりが独立採用を主張し出したなら
職員の質的均等性は危うくなり
能力の偏在が起こることは
十分にありうることと思われます。

今でも
この制度が変わらずに残っている
ということは
江戸川区だからで
” コア・ワールド ” の中心区ならば
おそらく却下されているのでは
ないでしょうか。

地方自治の本旨に基づき
成熟した自治体に向けた
権限移譲を目指す
「特別区」側 としては
23区の中でも
『スター・ウォーズ』で言うところの
 『アウター・リム』的な
江戸川区 に対し
” パイロットフィッシュ的な役割 ”
泳がせる目的で
独自採用を認めることで
自治権拡充をアピールし
その一方で
強い権限を残したい東京都の意向を
忖度して取り計らった折衷案が
現在まで至る採用制度になったものと
想像します。

江戸川区 の主張のほかにも
昭和61(1986)年には 世田谷区
「世田谷“市”実現をめざす区民の会」
発足し
さらに初の公選区長として選ばれた
当時の 大場啓二 世田谷区長
「世田谷独立宣言」というポスターを作成し
自治権拡充を訴える運動が
起こっています。

平成10年5月8日の
地方自治法の一部を改正する法律
(平成10年 法律第54号)による
平成12(2000)年
都区制度改革(第4次)において
特別区が「基礎的な自治体」として
位置づけられるようになりましたが
制約もまだあります。

一方で実感として
この採用制度に至った
当初の懸念材料とされた
職員の質的偏在も薄まり
充員見通しに対する不安感は
もうないでしょう。
また
人口規模に対する
自治体の権限を鑑みれば
この 特別区制度 にも
疲労 が見られることは感じます。

このことは
特別区長会調査研究機構
立ち上げをはじめとする
特別区区長会 の動きや
特別区協議会 の活動を見れば
自治権拡充に向けて徐々に進み
ソフトに進めているということが
確認できます。


特別区公務員志望の受験生が
中里江戸川区長 の主張をはじめ
江戸川区が独自採用に至った経緯や
自治権拡充運動の歴史
並びに
特別区区長会 の動きや
特別区協議会 の活動から
何をくみ取って活かすのかは
個々人でまちまちですが

「地方自治の本旨」とは何か
つまり
「団体自治」「住民自治」とは何かを
理解して
それを意識しつつ
志望理由や論旨を展開していけば
地方公務員としての基本は
押さえることができると思います。
※ 今回は
“ 特別区の自治権拡充 ” という
「団体自治」にウェイトのかかった
 お話でした。

また
志望先の区に対して
志望理由書の提出や面接の際に
留意することは
その区に勤(努)めたいという
強い意志を示すことであり
それは
志望する区を知った上で
明確で筋の通った志望動機

示すことでしょう。
これは民間企業の採用試験においても
同じことだと思います。

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~ 参考サイト ~

独自採用方式とは何ですか - 江戸川区

特別区人事委員会採用試験情報
- 特別区人事委員会


各区が実施する採用選考
- 特別区人事委員会


令和4年度 事業概要
(特別区人事・厚生事務組合)
- 共同処理事務(特別区人事委員会)
- 特別区協議会


「都区制度改革に関する研究」
(世田谷区の取組みと
 特別区制度研究会の動向)
- せたがや自治政策 Vol.5(平成24年度)


「大阪都構想」の欠陥 東京23区の現実
(「太陽のまちから」2014年2月5日 )
- 保坂展人のどこどこ日記
(2014年2月11日)


特別区の現状と課題(参考資料)
- 特別区制度の概要 - 特別区長会


特別区基礎講座 歴史編 - 特別区協議会

特別区協議会

特別区長会調査研究機構


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~ 参考文献 ~

「連載 主役登場
- 江戸川区長 中里喜一 氏(61)」
都政通信 27巻8月号 通巻334号 24頁
(昭和48年8月)

「連載 主役登場
- 区長会会長(目黒区長)
 君塚幸吉 氏(71)」
都政通信 28巻10月号 通巻336号 26頁
(昭和48年10月)

特別区協議会『「特別区」事務の変遷』
(平成9年3月)

特別区協議会
『特別区政の動き
- 昭和50年度特別区政改革の記録』
(昭和52年3月)


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以上
読んでいただき
ありがとうございました。